2008年07月07日
クライマーズ・ハイ
押忍 なにかと忙しくて投稿が出来ずにいた空手オヤジです。
先日より公開された映画「クライマーズ・ハイ」
1985年8月12日に起きた日本航空機墜落事故のときの新聞記者達のことをメインに当時の事故を実際の報道映像を使い伝えようとしています。
私の古くからの最も親しい人で当時、陸上自衛隊3等陸尉である部隊の小隊長をしていた人がいます。
彼は、あの日部隊から連絡があり、直ちヘリで群馬県の高天原山(正確には、墜落現場は御巣鷹山ではなかった)の麓の上野村に着き、そのまま小隊を指揮して徒歩で山を上がったそうです。
彼の目の前に展開されていた状況は、とても言葉などでは表現できないほど凄惨な現場でした。
彼は、なんとか出来る限り多くの人命を救おうと懸命に任務を果たしましたが・・・
辛かったそうです。今でも当時の事を思い出すと涙が止まらなくなります。
あの映画が完成した後に、「子供の遺体を抱いて叫んでいるのは、小隊長をモデルにしたのでは」と当時の部下から電話があったりするそうですが・・・本人は「絶対、あの映画は観ない」と言います。
助けれなかった己の力不足、何故もっと早く行ってあげれなかったんだ!と今でもあの夏の日が近づくと辛くなります。
彼は現在、自衛隊から警官となりそしてオウム事件の後に退職して民間企業に勤めています。
「あの現場を、風化したり、忘れてはいけないよ。だからあの映画は必要なんだけど・・・俺には辛いね」
現実を体験した者の言葉は、重いです。

先日より公開された映画「クライマーズ・ハイ」
1985年8月12日に起きた日本航空機墜落事故のときの新聞記者達のことをメインに当時の事故を実際の報道映像を使い伝えようとしています。
私の古くからの最も親しい人で当時、陸上自衛隊3等陸尉である部隊の小隊長をしていた人がいます。
彼は、あの日部隊から連絡があり、直ちヘリで群馬県の高天原山(正確には、墜落現場は御巣鷹山ではなかった)の麓の上野村に着き、そのまま小隊を指揮して徒歩で山を上がったそうです。
彼の目の前に展開されていた状況は、とても言葉などでは表現できないほど凄惨な現場でした。
彼は、なんとか出来る限り多くの人命を救おうと懸命に任務を果たしましたが・・・
辛かったそうです。今でも当時の事を思い出すと涙が止まらなくなります。
あの映画が完成した後に、「子供の遺体を抱いて叫んでいるのは、小隊長をモデルにしたのでは」と当時の部下から電話があったりするそうですが・・・本人は「絶対、あの映画は観ない」と言います。
助けれなかった己の力不足、何故もっと早く行ってあげれなかったんだ!と今でもあの夏の日が近づくと辛くなります。
彼は現在、自衛隊から警官となりそしてオウム事件の後に退職して民間企業に勤めています。
「あの現場を、風化したり、忘れてはいけないよ。だからあの映画は必要なんだけど・・・俺には辛いね」
現実を体験した者の言葉は、重いです。

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