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2007年08月11日

お盆に、終戦記念日近くで

押忍   

 この時期は、盆であることに、加え終戦記念日も近くまた、広島・長崎の原爆投下の日など戦争に関わることが重なります。

 今、平和であることが当たり前になり他国での戦争にも関心のある者も少ないのでないでしょうか。

私は、この時期に母のことを思い出します。

母は、まだ私が小学1年のころから、よく太平洋戦争の時の話をしてくれました。
母は、13歳で東京で歌手になるために古賀先生の弟子になりある歌手の付き人をしながら修業していました。14歳のある日、古賀先生に用事を頼まれ渋谷に出かけそこで、東京大空襲に遭い、周りを炎に包まれながらも、線路を歩き深川まで逃げたそうです。その時に見た光景はまさに地獄図でよく生きていられたもんだといつも話してました。

 そして、私が少年自衛官として自衛隊に行きたいと言ったときには、黙っていました。
その後、入隊の日です。「無傷で、定年まで必ず勤めろよ」と高山駅で大きな声で泣きくずれました。

 数年後、私が幹部になると、「頑張ったな」と言うのですがあまりうれしそうでありませんでした。

 そんな母が、「お前は、どんなことしているかは、イロイロ聞いているよ、落下傘したり、レンジャーとかいうのでこの前もTVで出てたよな、メシも食えずに一週間も訓練してたなー」とまた泣き始めました。
 「ええか、必ずお前が定年になる前に、日本はまた戦争に行くぞ、そしたらお前が死ぬのは、仕事やから母ちゃんが泣けば済む・・・でもな、悲しいのはお前が他人を任務であっても他人様を殺すことが悲しいんやお前はそのためだけに特別な訓練を受けているんやからな」

 母は、本当の戦争を知っているだけに、被害に遭っただけに自分の息子が殺す側になるのがつらかったのです。

 私はその後自衛隊警務隊員(司法警察職員)となり、それから他庁に出向となり母は少し安心したようでした。その母が亡くなり9年経ちます。

  でも、この時期いつも、スイカを食べながら母の空襲の話を聞いている幼い頃を思い出します。
警務配置後に訪ねてきた母  
Posted by berboo at 22:11Comments(2)TrackBack(0)空手オヤジの声