2007年05月25日
素手と武器・・1 空手の突き
押忍 空手オヤジです。
空手の突きは、なぜ捻りながら突くのかな?
答え・・・突きません
基本では、このように手の甲を下にして構え突きます 
なんだ、突いているやないか
そうですが、これは、あくまでも基本でのことこの稽古をする事により、突きの力の溜めと突いた瞬間の締めを身に着けるのです。この「溜め」と「締め」がシッカリ出来ないと、「破壊力」が出ません。
そして、呈峰會館とフルコン各会派の実際の突きは
このように、腕を立て上半身をガ-ドする様に構え、突きます
実際に試すと解りますが、実戦に於いて肘を体の後ろまで引いて突きをすることは、「素人」相手ならばなんとかなるかもしれませんが。「武道経験者」には・・・・無理かな-と思うのです。
では、何故そのような突き方があるのか?
いろんな説があります。 相手の懐に飛び込んで攻撃するため とか 「コ-ク・スクリュウパンチ」と同じ捻り効果で破壊力を増すためとか「夢」のような話まであります。
これらは、いわゆるガセネタです。もしこんな事を真顔で指導する人に指導されているなら、「生涯強くなれないよ」道場をすぐに変えたほうが、イイ-ネッ
私が以前沖縄県に仕事で行った時に、「琉球空手」と「琉球古武道」各派の先生数名にこの事を伺いました。
「何故、手の甲を下にして構えての突きができたのですか?」
「あの突きは素手でするためではないさ-。あれは、本来トンファ-を持って攻撃する為のものさ-。受けなんかもそうさ-、棒での受けがああして残ってるんだよ-」これが答えでした。
そうなんです。元々武器の稽古法であったのがこうして残っているのです。それはそれで大変重要な事なんですよ。先人の方々が、いろんな稽古をしてその中から、効果的で無駄の無い稽古を選りすぐり残ったのですから。
「空手は、素手だから空の手」なんておおばかさんなことは、言えなくなりますよ
武器術だってあるのですから、ついでに「空手」の由来です。
「空手」は、本土に伝えられたころ「唐手」と言われてました。「唐の国から琉球に伝わった」からだそうですが、松涛館始祖 船越 義珍先生が般若心経の「色即是空」の意に惹かれその「空」の意をこめ「空手」としたのです。
話がそれましたが、様々な攻撃に対して応じられるのが、本来の空手のすがたなのではないかと思うのです。
次回は、現代の社会のなかでの武器についてです。お楽しみに-
空手の突きは、なぜ捻りながら突くのかな?
答え・・・突きません

なんだ、突いているやないか

そうですが、これは、あくまでも基本でのことこの稽古をする事により、突きの力の溜めと突いた瞬間の締めを身に着けるのです。この「溜め」と「締め」がシッカリ出来ないと、「破壊力」が出ません。
そして、呈峰會館とフルコン各会派の実際の突きは
実際に試すと解りますが、実戦に於いて肘を体の後ろまで引いて突きをすることは、「素人」相手ならばなんとかなるかもしれませんが。「武道経験者」には・・・・無理かな-と思うのです。
では、何故そのような突き方があるのか?
いろんな説があります。 相手の懐に飛び込んで攻撃するため とか 「コ-ク・スクリュウパンチ」と同じ捻り効果で破壊力を増すためとか「夢」のような話まであります。
これらは、いわゆるガセネタです。もしこんな事を真顔で指導する人に指導されているなら、「生涯強くなれないよ」道場をすぐに変えたほうが、イイ-ネッ

私が以前沖縄県に仕事で行った時に、「琉球空手」と「琉球古武道」各派の先生数名にこの事を伺いました。
「何故、手の甲を下にして構えての突きができたのですか?」
「あの突きは素手でするためではないさ-。あれは、本来トンファ-を持って攻撃する為のものさ-。受けなんかもそうさ-、棒での受けがああして残ってるんだよ-」これが答えでした。
そうなんです。元々武器の稽古法であったのがこうして残っているのです。それはそれで大変重要な事なんですよ。先人の方々が、いろんな稽古をしてその中から、効果的で無駄の無い稽古を選りすぐり残ったのですから。
「空手は、素手だから空の手」なんておおばかさんなことは、言えなくなりますよ

武器術だってあるのですから、ついでに「空手」の由来です。

「空手」は、本土に伝えられたころ「唐手」と言われてました。「唐の国から琉球に伝わった」からだそうですが、松涛館始祖 船越 義珍先生が般若心経の「色即是空」の意に惹かれその「空」の意をこめ「空手」としたのです。
話がそれましたが、様々な攻撃に対して応じられるのが、本来の空手のすがたなのではないかと思うのです。
次回は、現代の社会のなかでの武器についてです。お楽しみに-
2007年05月25日
鬼手仏手ってなに?
ブログ名に「鬼手仏心」と云う言葉をつけました。
これは、なんだと思われる方もいると思います
元々は、お医者の言葉なんだそうです。
「外科医は、鬼のように血まみれになり壮絶なことを患者にするが、それは、患者をなんとしても助けたいと云う仏の心があるから出来るのである」と云う事なんだそうです。
18年前に勤務していた職場の上司からこの言葉をよく聞かされたのです。
その上司は、かなり前にものすご-く過酷な現場に派遣され、そこで「鬼手仏心」の額を見て、すごく奮起して、任務を全うできたそうです。
本来の意味と違うかもしれないが、「徹底して悪を鬼の如く叩くのには、なんとしても困っている人を救いたいと云う心をで事に臨め」と我々を指導された。
今の私は、「時として鬼の如く厳しい指導をするのは、なんとかその人を良くしたいから」とも考えます。
また、その仏心がなければ指導でなくなります。
私自身も以前Sさんにはかなり過酷な指導をうけましたが、なんとなく「仏心」を感じ辛いことも多かったけれども、いまだにSさんを尊敬し感謝しています。
この稽古生の皆さんにもこの言葉を伝え何らかの良き影響があればと、支部の訓としたいと思った次第です。
皆さんよろしく-
これは、なんだと思われる方もいると思います
元々は、お医者の言葉なんだそうです。
「外科医は、鬼のように血まみれになり壮絶なことを患者にするが、それは、患者をなんとしても助けたいと云う仏の心があるから出来るのである」と云う事なんだそうです。
18年前に勤務していた職場の上司からこの言葉をよく聞かされたのです。
その上司は、かなり前にものすご-く過酷な現場に派遣され、そこで「鬼手仏心」の額を見て、すごく奮起して、任務を全うできたそうです。
本来の意味と違うかもしれないが、「徹底して悪を鬼の如く叩くのには、なんとしても困っている人を救いたいと云う心をで事に臨め」と我々を指導された。
今の私は、「時として鬼の如く厳しい指導をするのは、なんとかその人を良くしたいから」とも考えます。
また、その仏心がなければ指導でなくなります。
私自身も以前Sさんにはかなり過酷な指導をうけましたが、なんとなく「仏心」を感じ辛いことも多かったけれども、いまだにSさんを尊敬し感謝しています。
この稽古生の皆さんにもこの言葉を伝え何らかの良き影響があればと、支部の訓としたいと思った次第です。
皆さんよろしく-




