2007年05月02日
武道精神?について
前回投稿に質問がありました。サブロ-さんありがとうごうざいます。
「武道精神」と云うことですが、しばしば、「武士道」と混同されているようです。
その解釈は、これだと定義できませんが、すくなくとも「死を恐れぬ勇気」は「武士道」であり
「武道」とは違います。
まづ、「武道」とは、なんでしょう。「武道」とは、「武」の本意を知り、その目的を達成するための
道を云います。「武」の本意とは、「説文解字」という後漢の書物によると、「二つの矛を止める者の意
であり、すなわち争いを鎮め争いを治める人道の元に敵を統一するが、武の本意である」と説いて
います。
「武道」とは、敵を殺し、争いを求め、敵に勝つことのみを目的にするものではなく、人をおもいやり
人を大切にすることで、自分も大切にしてもらえる事を知り、攻防の技術を身につけ、悪事に対して
毅然と立ち向かい、争い事を治めれて、社会の中で役立つ人間を作る道であると云うことです。
呈峰會館では、常にこのことに留意して指導しています。ですから、道場の雰囲気も明るく、殺伐 としたものもありません。
試合について
試合は、出場したい者のみ参加するようにしています。呈峰會館主催の試合は、ありませんので、
正道會館・白蓮會館・武神・心想流のように大会マナ-も審判の公正な会派の試合と、現在
最も参加団体の多いJKJO(呈峰會館も加盟)の試合に参加しています。その他の刺青選手など
でも参加出来るようなガラの悪い会派の試合に
は、頼まれてもでません。
私は、試合について「勝負」にこだわるのでなく、文字通り「試し合い」の場と考えます。
参加するために、自己の限界以上の稽古を数ヶ月繰り返しがんばる事で「勝敗」以上のものが、
得られると思います。「負け」たら、敗因を見つけそれをまた補い挑戦すれば、いいだけですし
仮に「全日本優勝○連覇」できたとしても、前述した「武道」の本意を解せない者は、世の中で
不要なのです。
うまくお答えできてないかと思いますが、以上が私の考えです。
「武道精神」と云うことですが、しばしば、「武士道」と混同されているようです。
その解釈は、これだと定義できませんが、すくなくとも「死を恐れぬ勇気」は「武士道」であり
「武道」とは違います。
まづ、「武道」とは、なんでしょう。「武道」とは、「武」の本意を知り、その目的を達成するための
道を云います。「武」の本意とは、「説文解字」という後漢の書物によると、「二つの矛を止める者の意
であり、すなわち争いを鎮め争いを治める人道の元に敵を統一するが、武の本意である」と説いて
います。
「武道」とは、敵を殺し、争いを求め、敵に勝つことのみを目的にするものではなく、人をおもいやり
人を大切にすることで、自分も大切にしてもらえる事を知り、攻防の技術を身につけ、悪事に対して
毅然と立ち向かい、争い事を治めれて、社会の中で役立つ人間を作る道であると云うことです。
呈峰會館では、常にこのことに留意して指導しています。ですから、道場の雰囲気も明るく、殺伐 としたものもありません。
試合について
試合は、出場したい者のみ参加するようにしています。呈峰會館主催の試合は、ありませんので、
正道會館・白蓮會館・武神・心想流のように大会マナ-も審判の公正な会派の試合と、現在
最も参加団体の多いJKJO(呈峰會館も加盟)の試合に参加しています。その他の刺青選手など
でも参加出来るようなガラの悪い会派の試合に
は、頼まれてもでません。
私は、試合について「勝負」にこだわるのでなく、文字通り「試し合い」の場と考えます。
参加するために、自己の限界以上の稽古を数ヶ月繰り返しがんばる事で「勝敗」以上のものが、
得られると思います。「負け」たら、敗因を見つけそれをまた補い挑戦すれば、いいだけですし
仮に「全日本優勝○連覇」できたとしても、前述した「武道」の本意を解せない者は、世の中で
不要なのです。
うまくお答えできてないかと思いますが、以上が私の考えです。




